今回のテーマ
「中絶の自由」に関する基礎的な知識の整理を目的とした備忘録です(このような性質から随時、追記されていきます。)。
そのため、特に目新しいことは何もないかと考えられます。
- 今回のテーマ
- 簡略な経緯*1
- アメリカの妊娠中絶裁判と社会の動向
- アメリカ法におけるプライバシー権について
- アメリカ・フランス・ドイツの対比
- 日本の法規制について
- 中絶の自由の文脈で言われる「自己決定権」とは
- 性的自己決定権とは
- 堕胎罪について
- 公式サイト
簡略な経緯*1
- ヨーロッパでは、キリスト教の影響で中絶は厳しく処罰対象となっていた。
- しかし、第二次世界大戦後、①医療技術の発展による安全性確保、②爆発的な人増加による食糧危機等の問題、③出産するか否かは女性が決定すべきものであり、刑罰によって強制すべきではないという権利意識の向上から、中絶の自由を認めるべきという主張が増加した。
- 1975年、フランスは、1972年のボビニー事件等を契機として人工妊娠中絶法(ヴェイユ法)を制定。
- 1973年、アメリカの連邦最高裁裁判所は、テキサス州の刑法が堕胎を規制していることは違憲と判断した(いわゆる「ロー対ウェイド事件」)。このようにしてアメリカでは中絶の自由が拡大していった*2。
- フランスは、2001年、「人工妊娠中絶と避妊に関する法律」を制定。
- しかし、アメリカの連邦最高裁判所は、2022年、ロー対ウェイド事件を覆し、中絶の自由は憲法では保障されていないと判断した(いわゆる「ドブス対ジャクソン女性健康機構事件」*3)。
- 2024年3月5日、フランス議会が、女性の人工妊娠中絶の自由を明記する憲法改正案を可決。
中絶の自由、フランスが憲法に明記 主要国で初 - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR04B8S0U4A300C2000000/
アメリカの妊娠中絶裁判と社会の動向
「アメリカでは、合衆国最高裁判所が1973年に、妊娠中絶の自由をプライバシーの権利に結びつけ、それに憲法上の保護を与える画期的な裁判(Roev.Wade、410 U.S.113)を下したが、それは、社会での紛争を決着したというより、紛糾の発生源となったとの指摘がなされている。すなわち、同裁判以降、生命擁護派(Pro-Life)と呼ばれる中絶禁止派と、選択擁護派(Pro-Choice)と呼ばれる中絶是認派とが激しく対立するようになり、その対立は、議会での立法の過程で、また、社会での運動を通して、折り合うことがおよそ不可能と思われるほどの厳しいものとなっている。これは、結果的には、最高裁判所が社会の動向を十分見極めないで、結論を示したからだといえそうである。」*4
アメリカ法におけるプライバシー権について
「アメリカの法学の世界におけるプライバシー権には、女性の妊娠中絶の権利や同性愛者の権利も含まれています。これらの権利は、日本では自己決定権という言葉に相当するように思われます。どうやらアメリカのプライバシーには、日本語の語感と厳密には一対一で対応し得ないものも含まれているようです。このように、プライバシーという法的概念は、国によっても異なりうることを理解する必要があります。」*5
「人工妊娠中絶の権利をプライヴァシー権と結びつけるアメリカの憲法論では、消極的自由の観念がもつ弱さを共有することになり、「中絶の可能性は、女性の人格やシティズンシップにとっての前提条件であるという点が構図から落ちてしまう」と批判されている。」*6
アメリカ・フランス・ドイツの対比
「アメリカでは、もともと中絶の自由をおもに私的領域の問題としてのプライヴァシー権の面から根拠づけてきたことに限界があったと考えられるが、胎児の生命権との関連では、一定期間の法規制を排除するフランスと、生命権を重視するドイツとの対比が示唆的である。」*7
日本の法規制について
「日本では、中絶は権利として認められてはいない。早期の中絶についても、(事実上は自由であるが)法律上は一定の要件を満たさない以上許されない。ほとんど有名無実化しているが、一応法律の上では配偶者の同意も求められている。しかも、現在のところ、許されているのは外科的な妊娠中絶に限られており、諸外国で普及しつつある妊娠中絶薬による中絶は認められていない。それゆえ、はたしてこれで合憲といえるかどうか極めて疑間である。
妊娠中絶の自由の制限は性的自己決定権の制約であり、それが政治共同体の基礎をなす権利の制約である以上、制約には厳格審査が適用されるべきである。また、妊娠中絶の禁止は女性のみに及ぶ規制であるから、性差別としても、平等保護の観点から厳格審査が適用されるべきである(略)。妊婦の生命・健康保護のための規制と、胎児が体外で生きていける時期以降であれば、潜在的な生命を救うというやむにやまれない政府利益のために、母体の生命・健康に危険が及ぶ場合を除いて妊娠中絶を禁止することも許されるであろうが、それ以外には禁止は許されないというべきであろう。」*8
「出産や避妊に対する規制も見当たらない。しかし、妊娠中絶については、刑法212条・213条により、堕胎の罪が定められている。母体保護法14条が、医師の認定による人工妊娠中絶を認めており、一定の場合に限って、法律上許容している。妊娠中絶の是非は西洋諸国における一大争点であったが、日本の場合、母体保護法14条1項1号の「経済的理由」条項が広く解されてきたこともあって、事実上、自由な妊娠中絶が行われてきた。そのため、妊娠中絶の自由それ自体の憲法上の位置づけが十分に検討されないまま、今日に至っている。」*9
中絶の自由の文脈で言われる「自己決定権」とは
「契約関係の検討に入る前提として、いわゆる『自己決定権』について触れておく。わざわざ括弧書きにするのはなぜかと言えば、この言葉の意味は慎重に検討されなければならないと思われるからである。
まず、第一に『自己決定権』とはいかなる権利かが問われなければならない。たとえば、避妊の自由・中絶の自由が説かれるとき、女性は『産まない自由』を持っている、産むか産むないかは自己決定の領域に属する、と言われてきた。同様に、生殖補助医療に関しては、女性は『産む自由』を持っている、産むか産まないかは自己決定の領域に属する、と言われることがある。
この場合の『自己決定』は、それが『自由』の領分を確保するための論拠とされていることからもわかるように、私の決定に介入しないではしい、という性質のものであるはずである。つまり、避妊や中絶を禁止するな、刑罰を科すな、というのが『自由』の内実であり、『自己決定』の尊重の言わんとするところである。」*10
「勿論、自己決定権が本来の選択権説的な形式的・絶対的性質を持つものとして主張されている場合も存在する。例えば女性の自己決定権から中絶の権利を認めようとする議論の場合である。このとき、中絶という道徳的にはコントロヴァーシャルな選択であっても、子を産み育てるという長期にわたる身体的精神的束縛を受け入れるかどうかという重大な選択は、他者ではないその女性自身の自己決定の領域に属しているという理由で擁護される。周知のように、このような中絶の自己決定権による正当化に対しては、生命の根源的価値や宗教的な価値観や非個人主義的価値観などの様々な実質的価値論の立場からの批判が加えられている。」*11
性的自己決定権とは
「性的自己決定権は、元来「産む産まないを女性自身が決定する権利」として、中絶の権利(堕胎罪からの解放)を獲得するために女性運動の中で唱えられた権利である。その後、「相手がだれであれ、性行為を強制されない自由」として、1980年代以降、とくに夫婦間レイプやセクシュアル・ハラスメントに対抗する女性の権利として大きな威力を発揮してきた。さらに性的自己決定権は、「いかなる性行為を、だれと行なうかを本人が決定する権利」として、性売買の中にいる女性の権利獲得要求(刑罰からの解放、生活権の確保)においても主張された。しかし、性的自己決定権は性売買に適用されたときに、決定的な転換――没価値化による、性暴力批判という目的の喪失――が生じたと思われる。」*12
堕胎罪について
「ところで、堕胎行為の対象となる胎児は、堕胎行為のときに生きていることを要するが、胎児がどの程度に発育しているかとか、母体外で生命を維持できる時期であるか否かは問わないと解されている(大塚ほか・大コメ刑法8巻〔横畠〕381頁)。外国の立法例とか判例には妊娠後一定期間内の胎児(例えば、米国の1972年統一妊娠中絶法では妊娠20週以内の、1973年の連邦最高裁判例(Roe v. Wade, 410 U.S.113; Doe v. Boston, 410 U.S.179)では妊娠3ヶ月以内の胎児)に限定して、優生上とか経済上とかの中絶適応事由を問うことなく、いわゆる中絶の自由を妊婦に認める考え方があり、またそれがむしろ世界的な傾向と思われるが、我が国の場合は、判例が妊娠1ヶ月の胎児について堕胎罪の成立を認めている(大判昭和7年2月1日刑集2巻15頁)ように、相当程度初期の妊娠中絶も堕胎罪を構成するとされている。」*13
公式サイト
※ 大変申し訳ないのですが、弊所は、無料法律相談は行っておりません。
竟成(きょうせい)法律事務所
TEL 06-6926-4470
*1:竹内典夫『法学・憲法講義録』(法律文化社、2009年)43頁、辻村みよ子『憲法と家族』(日本加除出版、平成28年)30頁以下
*2:アメリカにおける状況については、例えば、小竹聡「アメリカ合衆国における妊娠中絶をめぐる法と政治の現況」愛敬浩二『現代立憲主義の認識と実践』(日本評論社、2005年)147頁以下参照。
*3:同事件については、例えば、大林啓吾「判批」判時2550号(2023年)100頁、小竹聡「合衆国最高裁判所による中絶判例の変更」ジュリ1579号(2023年)105頁、辻村みよ子『家族と憲法 ――国家・社会・個人と法』(信山社、2022年)454頁以下、梅川健「アメリカの政治と司法」法教510号(2023年)62頁など。
*5:宮下紘『プライバシーという権利』(岩波書店、2021年)28頁。
*6:辻村みよ子『憲法とジェンダー』(有斐閣、2009年)67頁
*8:松井茂記『日本国憲法』(有斐閣、第4版、2022年)480頁。
*9:渡辺康行ほか『憲法Ⅰ 基本権』(日本評論社、第2版、2023年)130-131頁
*10:大村敦志『新基本民法7 家族編 女性と子どもの法』(有斐閣、平成26年)96頁。
*11:浅野有紀「権利と秩序」民商134巻4・5号(2006年)548頁。
*12:中里見博「フェミニズムと憲法」長谷部恭男ほか編集委員『岩波講座 憲法3 ネーションと市民』(岩波書店、2007年)206頁。