竟成法律事務所のブログ

大阪市北区西天満2-6-8 堂島ビルヂング409号室にある金融法や民事事件を重点的に取り扱う法律事務所です(TEL 06-6926-4470、大阪弁護士会所属)

【民法・家族法】離婚後の共同親権に関する淡々とした基礎知識

■今回のテーマ

今回のテーマは、「離婚後の共同親権に関する学説や論拠・批判等を淡々と紹介しよう」です。

 

離婚後の共同親権について、賛成のお立場であっても、反対のお立場であっても、相手方の見解を正確に理解することは重要です。

対立が激しい論点であることからすれば、必須と言っても過言ではありません。

 

本記事はそのような観点から淡々と記述を連ねていくものです。

このような目的の記事であるため、記述等が適宜、追記されていく予定です(最終更新日:2024年2月13日)。

 

 

 

■定義

離婚後の共同親権とは、

離婚後の「父母が共同して未成年の子に対して身分上及び財産上の監督保護(子の監護教育、居所指定、懲戒、職業許可、財産管理及び子の財産に関する法律行為の代表)を行なう親権者となること」

を言います*1

 

尚、他国の中には、親の立場にある者の多様な責任を強調するために、「親権」ではなく、「親責任」(フランス parental responsibility)や「親の配慮」(ドイツ elterliche Sorge)という言葉が使われている国もあります(二宮230頁、星野395頁)。

 

 

 

■文献を1つ選ぶなら

離婚後の共同親権に関する文献は多種多様です。

その中で、記述が中立的で信頼でき、かつ、皆様がアクセスしやすいものを1つ選ぶとなりますと、参議院事務局企画調査室が参議院議員の立法活動等のために編集・発行する『立法と調査』かと存じます。

 

石塚理沙「離婚後の共同親権について」立法と調査427号(2020年)187頁

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2020pdf/20200911187.pdf

 

立法と調査:参議院
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/index.html

 

尚、他の参考文献については本稿末尾に記載してあります。

また、以下の記述では末尾記載の略語を用いて当該文献を引用します。いずれの引用部分についても特に断りがない限り、太字は引用者によります

 

 

 

■学説では共同親権賛成説・反対説のどちらが有力?

学説では、離婚後の共同親権を支持する立場が有力であるが、具体的な制度設計に関する認識は一致を見ていない。」(前田110頁)

 

「父母が協議で離婚する場合、その一方を親権者と定めなければならない(819条1項)。離婚後の単独親権の原則である。これは、父母が住まいを別々にする以上、共同親権・共同行使ができないという前提にたっている。しかし、最近では、親権が子に対する親の義務であるなら、離婚後も共同親権を原則にすべきこと、単独親権の原則は離婚後も父母の愛情を平等に受ける子の幸福追求権(憲法13条)違反の疑いがあること、欧米諸国では、離婚後も共同親権・共同監護を認めて、親の共同養育責任を明確化していることなどを理由に、立法論としての離婚後の共同親権・共同監護を主張する立場が有力化している。」(副田ほか136頁〔棚村政行〕)

 

 

 

■中立的主張 or 記述

共同親権を実現するためには、夫婦は互いに憎しみあうことなく、いわば静かに別れることが理想となる。離婚後も子の養育・監護に関して話し合ったり、協力しあったりしなければならないからである。子どもにとってはかけがえのない母であり、父だからである。」(松川92頁)

 

「『子の利益』の観点からは、子の成長過程に父母が共同で関与することが望ましい。もっとも、親権・監護権の枠内で実現する必要はない。離婚後の共同親権を認めたとしても、父母間の生活共同体はすでにない以上、子の生活拠点はいずれかに属することになる。その限りで、共同親権それ自体は、共同関与を象徴的に実現するにとどまる恐れもある」(小池29頁)

 

「上述した諸要素を比較衡量しながら、親権者が指定されるのだから、父母双方が離婚後も子の親権者でありたいと思う事例では、監護能力の優劣を争う、そのために相手方の人格を誹謗中傷する、監護実績を作るために子との同居を確保し、別居親に会わせようとしない、実力行使で子を連れ去るといった事態も生じることがある。親権者になれないと、子と会うことができなくなるのではないかという不安が、親権争いをより熾烈にさせている。子は父母の深刻な葛藤に直面し、辛い思いをすることになる。また協議離婚の場合にも、親権者指定について子の利益を守るための規定はなく、すべて父母の意思にゆだねられる結果、子は、誰と暮らすのか、生活はどのように変わっていくのか、学校や友達とのつき合いはどうなるのか、親の他方とはどのような交流が保障されるのか、不安な気持ちのまま、成り行きに任せるしかない。
 親権者を協議で定める場合も、家庭裁判所が定める場合も、父母が親としての責任を自覚し、子の意思や利益を優先的に考えることができる仕組みが必要不可欠である。このような問題意識から、離婚後も父母の共同親権とする法改正が議論されている。親権を巡って父母が対立する構造から、離婚後の親子関係の形成へ向けて父母が調整する構造への転換である。しかし、共同親権といっても、父母の一方が子と同居して現実の養育者となることが多いため、日常の養育者、養育費の負担、面会交流の方法、子のために父母が協議する事項などについて合意する必要がある。こうした協議が可能かどうか。法的な紛争になるのは、夫婦間の葛藤が激しかつたり、DVで妻がおびえていたりなど、夫婦による合意形成が困難な場合であり、共同親権にすることによって、夫側の要求をより強化させ、母子の生活の安定を阻害するのではないかという危惧も表明されている。」(二宮117頁)

 

「親権者・監謨者の指定、関連して面接交渉等を巡って、難航しているケースも多くなってきている。これらの問題の処理を訴訟に委ねることはできるだけ避けるべきであろう。訴訟の場でことはできず、柔軟に事実に則した対応をすることは困難である。離婚を先行させ、調査官の綿密な調査結果の結論にしたがうとか、遅滞なく乙類の審判をするとか、あるいは後述の家事審判法24条*2の審判も考慮の対象となる。さらにはそもそも、面接交渉等を上手に利用し、実質共同親権に近い運用をすることも不可能ではない。これからの課題であろう。」(鈴木b73頁以下)

 

「もし、共同親権を認めるとなると、離婚の観念もある程度の影響を受けるものと思われる。伝統的な考え方が、離婚とは婚姻の破綻であり、婚姻が破綻した以上は男女の間にいかなる関係も残らないというものだったのに対して、共同親権論は、夫婦としての関係の解消とは独立に、両親としての関係は残り続けるという考え方を持ち込むことになる。つまり、婚姻によって成立した男女の関係は、離婚しても完全には解消されないというわけである。

 もっとも、すべての夫婦にこのような関係を強要することが可能かどうかについては、慎重な検討を要する。しかし、もし婚姻中の夫婦のあり方につき、一定の範囲で夫婦の選択を認めるならば(夫婦財産契約、夫婦別姓など)、離婚後の夫婦のあり方についても選択を認める余地はないわけではなかろう。

 ただし、子どもの利益に対する配慮は必要である。この点につき、これまで一般には面接交渉権は子どもの観点からみても望ましいものだといわれることが多かったように思う。子どもには二人の親がいる方がよいというのである。しかし、離婚に至った夫婦のトラブルが離婚後の両親にもちこされるとすると、そのような両親の双方と交渉をもつことが常に子どもにとって望ましいことかどうかは検討を要するところである。」(大村b177-178頁)

 

日本国憲法の施行(1947年5月3日)までに民法改正が間に合わなかったため,憲法の理念(個人の尊厳と両性の平等)に立脚するための応急措置として『日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律』(1947年5月3日施行)が制定された。応急措置法では,離婚するときの親権者は『父母の協議で定めなければならない』(6条2項)とされているが,現行819条1項のように「その一方」という縛りはなく,文言上は,離婚後の共同親権が可能となっていたことは注目すべきである。」(犬伏94頁脚注55)

 

「離婚後の共同親権・共同監護といっても、同居しない離婚夫婦が、現実に子を共同に監護することは困難であるから、結局は、法的監護権 legalcustody は離婚父母双方が行使し、日常の世話(day-to-day)care and control は父母の一方が行うとか、法的監護権は父母の一方が行使し、日常の世話は他方が行うとかいう方法を採らざるをえないであろう。」(山本19頁)

 

「◆離婚後の共同親権について
内田  最初に道垣内さんと吉田さんから家族モデルの議論が出されましたが、今までは専ら夫婦についてのモデルであったのに対して、ここでは、子どもの養育について、ある種のモデルが議論されているのだと思います。こういうモデルの下で子どもが育つのは、子どもにとって幸福なのだ、だから、それを最大化するためには共同親権がいい、という議論になるのです。

 しかし、その議論をするためには、離婚後の男女の関係がどのようなものなのかについての認識が重要になってきます。そして、日本で従来共有されていたその点に関する認識の下では、離婚後の共同親権について必ずしも肯定的な見解が多くなかったのだと思います。そうだとすると、そこの認識を変えるべきだという主張も伴う必要があるのではないかと思います。その中で、水野さんなり、この委員会としての、育児のあるべきモデルみたいなものを議論する必要があるのではないかという気がします。」(内田ほか284頁〔内田貴発言〕)

 

「子の利益について、わが国では心理学や社会学の観点からの実証的な研究がなく、またあったとしても、その実証的研究が客観的な正当性の根拠となり得るのかという疑間から、一律的に子の利益を定義づけることはできないという指摘がある民法は、離婚後の面会交流や監護者指定の際には『子の利益を最も優先して』(民766条1項)とし、親権者変更においては『子の利益のため必要があると認めるときは』(民819条6項)として、子の利益をその判断基準の要素として規定していることから、子の利益は個別具体的に検討するものと位置付けられている。したがって、子の利益は個別的なものであることがまず前提とされなければならない。それにもかかわらず、現在、親権制度の検討が子の利益についての価値判断の議論にすり替わってしまっており、制度の議論を困難にしている。これまで、子の利益について、以下の視点から正反対の主張がなされてきた。

(中略)

 以上のように、単独親権の現状で子の利益が達成されない場面もあり、達成される場面もある。子の利益は、それぞれの家族の状態や個々の子により異なってくるものであるから、そのような子の利益を土台に制度を議論しても平行線のままとなる。共同親権下においても、子の利益と子の不利益は同様に個々の状態で存在するであろう。したがって、子の利益を根拠に、単独親権の存在理由を説明することはできない。」(山口111頁)

 

「離婚後双方関与の是非については、賛成する立場はその理念を語り、反対する立場はその弊害を語るものであり、必ずしも互いの意見が矛盾するものではないように思う。つまるところ、実際上父母間に協力的関係性があるケースでは双方関与が望ましく、そうした関係性にないケースでは双方関与は回避されるべきであるということである。
 そこで、問題となるのは、どうすれば離婚後双方関与が相応しいケースにのみそれを認めることができるかというスクリーニングの点である。このスクリーニングの問題は極めて重要である。」(池田22頁)

 

「次に、離婚後双方親権については、世上、別居親が子とより多くの時間を過ごすことが可能となるような制度として求められる節もあるが、双方が親権者となるということと親子の交流の頻度や時間をどのように設定するかという問題は直接には関連せず、後者は親子交流(面会交流)という別の問題として捉えられるべきものである。また、離婚後も親権者であり続ける父母がどの範囲・程度において子の養育を共同するかについては、後述のように様々なバリエーシヨンがあり、関与の対象・程度の問題としてさらに議論されるべきである。このように論点を区別して整理するならば、離婚後双方親権を認めるかどうかは、離婚後双方関与が可能であるケースにおいて、双方の親にどのような法的根拠を与えるかという法技術論の問題として捉えることができよう。」(池田22頁)

 

「離婚した場合は、父母のいずれかを親権者と定め、その者が単独で親権を行使します(民819条)。したがって、親権者をどちらかに定めないまま離婚することはできません。
 もっとも、ヨーロッパの多くやアメリカ、韓国など離婚後も共同親権制度を採用している国も多く、単独親権とすると、離婚の際に子どもの奪い合いや連れ去りを誘引してしまい、子の利益を損なうことになるといった指摘等から、日本も共同親権制度を採用すべきだ、という議論がされています。
 一方で、離婚した夫婦が子どもの進学等について意見を合致させるのは困難であり、離婚した場合には、父母が共同して親権を行使することはもはや期待できないという指摘もあり、単独親権の合理性も主張されているところです。」(三崎323頁)

 

 

■賛成説(or賛成説に近い見解)の主張

「離婚後の単独親権行使の原則をとった趣旨は、離婚した父母は事実上生活をともにしなくなるため共同で子の親権を行使することが妥当でなく、実行が困難で子にとって利益とならないからだと言われる。しかし、民法が離婚の際に親権の共同行使の困難性から単独親権の原則をとったことに対しては批判があり、とくに、非親権者の法的地位が劣弱な状態におかれていること、子に対する愛情と献身への願望がある非親権者にも、子の健全な発育に必要なかぎりで一定の権利義務を承認し明確化することが子の利益にかなうのではないかとの疑問が指摘されている」(棚村128頁)

 

「このように共同親権から単独親権への移行が、単に父母が生活を共同にしなくなったことによる共同行使の困難という『実際論』を理由とし、そのかぎりでの子の利益がいわれるのだとしたら、単独親権への移行により他方の親の権利義務まで消滅させる必然性はなく、またそのことが子の利益にかなうとはいえないのである。たとえば後見人について、わが民法は、これを一人に限っており(843条)、その理由として一人の方が能率があがるからだとされるが、親権者についてもこれと同様には解しえないのである。

 思うに親権者は、子に生を与えることにより自らその地位を引き受けた者であるとともに、その子に対する愛情ゆえに一般にその最適任者とみられ、しかも子の健全な成長発達にとって両親が必要であるがゆえに共同親権者としての地位についた者ということができるのであって、離婚によって常に親の愛情への一般的信頼が失われるとか、子にとって片親の方が利益になるとかいえないかぎり、常に能率だけを考えて一方の権利義務を消滅させることはできないはずである。

 もっとも、離婚の際の父母間の不和・葛藤は子にとって不幸なことが多く、離婚はその好ましからぬ共同親権の法的清算であって、父母の親権はそこで一応消滅し、単独親権は新しい条件のもとでいわば原始取得されると解する説もあるが、長期的にみれば、日常の監護行為についてはともかく、非親権者に子に対する愛情と献身への願望があり、それが子の健全な発育にとって必要なかぎり、親がこれを注ぎ、子がこれに浴しうる途を開くことの方が子の利益にかなうものというべきであろう。」(川田231頁以下)

 

「とはいえ、今日において、単独監護・単独親権を積極的に擁護する理由は乏しい。父母の権利・子どもの権利の双方の観点から、立法論としては、共同監護・共同親権を原則とすべきであろう。もちろん子の福祉の観点から,例外的に,一方の親の権利を制限すべき場合があることも確かである。」(大村98頁)*3

 

「日本の法制のもと、単独親権の弊害がもっとも鮮明に表れるのは、養子縁組制度の不備と相まって、離婚後に親権者となった親が新しい配偶者と養子縁組をする場合である。主として再婚にともなういわゆる連れ子養子の場合であるが、親権者の直系尊属との養子縁組の場合もある。つまり、親権者の合意だけで養子縁組が成立し、他方の親の意向はまったく考慮されない。したがってなにも知らずに、親権者とならなかった方の親が約束にしたがい、養育費を支払い、面接も続けていたという例すらある。いずれにしても、他の未成年養子の場合と異なり、家庭裁判所が関与することもない。親権者とならなかった親は、意向の打診すらされない。」(鈴木49頁)

 

「父母が婚姻中親権を共同行使をしていた場合に、今日の立法論においては、離婚後も親権の共同行使を認めるべきであるとする主張がむしろ多数のように思われる。このような見解については、関心が強く、一考に価する。

 親権は、未成年子の福祉のための制度であり、父母が離婚をしたという理由で、その監護者にならなかった親において、未成年子に対する身上監護の義務が潜在化することはあっても、消滅するものではない。離婚後の父母の共同親権の実質を明確にすることは重要であると思われる。思うに、父母の離婚後も共同親権を基本とすべきか否かについては、それを肯定することが、未成年子の保護について、理念的に重要であるからである。父母が離婚した場合、実際上は、未成年子を事実上監護するのは、父母のいずれか一方的になるのが、一般であるが、そのかぎりでは、他方は直接監護をする機会を失う。したがって、ここでは、他方にとって、共同親権は理念化するにすぎない。その意味では、現行法における単独親権の規定と形の上では変らないといえるが、理念上は、離婚した父母にとって、それぞれの自覚の点では、大きな差異をもたらす。このように、共同監護の理念と自覚において、制度上は、大きな差異をもたらす。父母の離婚後も、各々が未成年子の監護義務が消滅しないという自覚的な責任をもつという意味においては、離婚後の共同監護は重要な意味をもつ。父母の離婚後も、単独親権者となった父母の一方が他方の面会交流を妨げる問題にも、影響を与えることにもなるだろう。」(中川310頁~311頁)

 

「まず注目されるべきことは、離婚後の共同監護論は、子の最善の利益の実現に寄与するものとして理論化されてきたことである。具体的には、つぎの諸点が要因とされる。①第一に、当然のことながら、父にしろ、母にしる単独監護の欠陥が指摘される。すなわち、第一に、単独監護は、子に離婚という異常な体験を経験させ、健全な発育を大きく阻害する原因を与えることとなり、いかに経済的に富裕な監護がなされ、細心の注意で監護に当ろうと、回復することのできない子の外傷体験となることは当然である。第二に、単独監護は子の福祉と全く関連のない、離婚の当事者である父母の制裁や恩典としてみられる危険があることである。②第二に、単独監護の弊害は、面接交渉というような手段で治癒されるものではない。婚姻生活にも似た両親との絶え間ない接触があってこそ、ようやくその不健全さが若干でも救済されるにすぎない。③第三に、わたくしがとくに関心をもつ点であるが、子に必要なものは物質的に養育されるということではなく、親が存在するということである。一人の親では、両親がともにある家庭の幸福をどうみても果せない。まして、単独監護では、どのような理由をあげても子の最善の利益に反した措置であるといえる。

 かくて、離婚が破綻主義により容易化すれば、なおのこと子の立場は共同監護(親権)の方向で考えられるべきである。

 もっとも、一口に共同監護論といってもすでにアメリカの学者の指摘のように、そこには現実的にかなり困難な問題がある。第一は、離婚の葛藤をのり越えて互いに協力しながら監護を共同にすることは絶対に不可能とする推定がある。第二は子が二つの家を往復しながら養育されることは子の情緒面に不安定さを招き、それは精神医学的に有害であるとみる。そして第三点として、共同監護は普遍性に欠けるともいわれる。」(佐藤145-146頁)

 

 

 

■反対説(or反対説に近い見解)の主張

「そもそも立法論の基本的視座として,現行法を不可とし,新たな立法を積極的に提案するのであれば,その根拠となる立法事実を開示する義務があります。共同親権化の立法が子の利益に適うことの立証責任は,その提案者側にあります。しかし,提案者側はその義務を全く果たしていません。むしろ,我々はそのような共同親権化には問題が多く子の利益に反することを積極的に問題提供しているのですから。これに反論すべきです。」(梶村359頁)

 

「我々が離婚後の共同親権の立法化に反対するのは,それによって児童虐待が増え,子の利益に反することが明らかだからです。平成23年に改正された民法766条で『面会交流』が明文化され,面会交流原則実施論が支配し,子の利益が害される事案が多発化したことからもうかがわれるように,共同親権が明文化されれば,それ以上に児童虐待が多発することは目に見えています。残念ながらそう断ぜざるを得ません。煎じ詰めていえば,共同親権化は戦前の男子専権の強化であり,ジェンダー論からいっても賛成できません(上野千鶴子共同親権の罠-ポスト平等主義のフェミニズム法理論から」(梶村ほか離婚後の子どもの利益2頁以下参照)。大量の児童殺害というファクトも生み出した欧米の子の監護イデオロギーの危険性に目を向けるべきです。なお,この点に関する欧米諸国の立法や実務の傾向に関しては,『戸籍』誌983号・985号・987号連載の小川富之教授の解説に詳しいです。」(梶村360頁)

 

「つまり、共同親権とは、一方の親が、他方の親の決定に対して拒否権をもつことを意味する共同親権というと、双方が子どもに関する決定に参加できるという積極的なニュアンスに映るかもしれないが、法的には、相手方の決定に対して拒否権を発動できるという消極的なニュアンスのほうが重要だ。

 現在、検討が進められている離婚後の共同親権制度とは、『離婚した父母双方に、子どもに関する決定の拒否権を持たせる制度』と理解すべきだ。」(木村28頁)

 

「前述したように、現在、離婚後の共同親権を認めるかどうかが、民法改正の大きな争点となっている。西欧法が離婚後共同親権に道を開いたのは、離婚がありふれたことになり、夫婦としては失敗した両親であっても、親としては協力して子を育てようという姿勢をもつ両親に道を開くためである。また、離婚後単独親権だと離婚前の子の奪い合いが熾烈になりがちであり、その争いを軽減する狙いも強かった。それでも離婚した両親が共同親権を行使することには、とかく困難が伴いがちである。」(水野62頁)


「それでは、日本でも、離婚後共同親権が立法されるべきだろうか。将来的には、その方向に進むのが筋といえるだろう。しかし現状では、慎重に考えぎるを得ない。いささか乱暴な比喩ではあるが、離婚後共同親権は、建物に西洋風の両開きの窓を作って新しい風を入れるべきだという主張のようなものである。家の建築手法としては、たしかにそのほうがいいだろう。しかし家の上台が沼地で、そもそも家全体が傾いて崩れかけている状況では、窓を作ったところで、窓からも泥が入りかねない。なにより必要なのは、まず傾いた家を支え、土台を固めることなのである。
 西欧法が日本法と大きく違っているのは、子を連れて逃げるという自力救済の禁止と、その禁止の前提としての救済の保障である。つまり、国家が助けるから逃げるなという制度であり、ハーグ子奪取条約は、これらが制度化している国同士で、国境を越えて自力救済をした場合に、もとの国に戻して本来の手続に戻すという条約である。しかし日本法は、これらの制度化がどちらも確立していない。」(水野62頁)


「つまり日本法は、弱者が救いを求めたときに、公権力が家庭に介入して弱者を救済するという家族法になっておらず、当事者の自力救済を前提とするのである。離婚後共同親権についても、それが条文に書き込まれただけでは、実効性は保障されない。他方、DVや児童虐待のように家族間に暴力や支配があるケースにおいては、親権行使を回実に加害者がつきまとい、極端な言い方をすれば、公認ストーカーを承認することになりかねない。」(水野62-63頁)

 

「離婚後の共同親権の必要性を論じる見解も多いが,離婚後の父母は,通常,居住を別にするために,現実に親権の共同行使は困難であるとの理解(我妻・改正107頁)から,離婚後の親権共同行使を認めなかったとされる。先例もまた,離婚後の父母の共同親権を認めていない(昭和23・5・8民事甲977号回答)。」(佐々木323頁)

 

「おそらく共同親権や面会交流を推進しようとするならば、専門機関が緊密に結びつけられた監視的な福祉システムの構築が不可欠である。そもそも婚姻生活を継続していくことができない関係になった夫婦が、子どもの養育にかんして協力しあって責任を分担するという想定自体が、かなり困難を抱えたものである。」(千田16頁)

 

「離婚というのは、夫婦関係の破たんを意味する。共同親権でうまくいく父母は、単独親権であっても協力し合えるだろうというのが偽らざる感想である。うまくいかない夫婦の場合、子どもを媒介として、相手の人生にずっと影響力を及ぼし続けることが何を意味するのかも、考えなければならない。」(千田17頁)

 

 

 

■現在の共同親権の議論設定に関する批判(大塚正之説)

大塚251頁以下は、現在の共同親権の議論そのものについて次のように批判します。

 

すなわち、現在の議論は、

 ① 父母が婚姻中のケース

 ② 父母が婚姻していたが離婚したケース

を前提にしており

 ③ 父母が不明なケース

 ④ 母は分かっているが父が不明なケース

 ⑤ 父母が判明しているが父が認知しないケース

 ⑥ 父母が判明しており父が認知したケース

を議論の対象としていません。

 

しかし、子どもの視点からすれば、最も権利・利益を侵害されているのは、「③ 父母が不明なケース」であり、次いで、④~⑥も権利・利益を侵害されています。

したがって、本来は「③ 父母が不明なケース」の子どもの権利・利益を保障することから始めるべきです。大切なことは、権利を主張することができない子どもたちの権利をどのようにして守って行くのかという視点です。

現在の共同親権の議論はこの視点を欠いており、本末転倒であると指摘されます。

詳細は大塚251頁以下を御覧ください。

 

 

 

■比較法的状況

上掲表は石塚193頁より抜粋

「日本の法律では、婚姻中は父母がともに親権者として共同して親権を行使するのですが、ひとたび離婚すると、父か母のどちらかを親権者と定める以外に方法はありません。つまり、共同親権は認められず、必ずや単独親権となるのです。この点でも、日本の法制度は比較法上特異な存在であり、他の国では共同親権を選択的に認めるものがかなりあります。」(市橋ほか76頁)

 

「日本では、離婚後は必ず父母の一方の単独親権となるが、世界をみれば、むしろ離婚後も共同親権を原則としたり、単独か共同から選ぶことができる法制が一般的である。離婚後も両親が養育責任を果たし、親子の関係を継続し交流することが子の福祉にかなうとの理念による。アメリカでは離婚後の共同監護が認められ、イギリスでは離婚後も父母双方が親責任を有し続ける。ドイツでは父母の別居後も又は子が婚外子の場合にも『共同配慮』が継続するが、必要があれば『単独配慮』への移行も認められる。フランスでは、『親の権威』は離婚後も共同行使することを原則とし、例外的に一方のみが行使する場合もある。中華人民共和国の婚姻法は、離婚後、父母は子に対し依然として扶養および教育の権利と義務を有するとし,韓国民法でも、単独親権または共同親権から、協議や裁判によって自由に選択することができると解されている。なお、韓国では実際には単独親権が多い。離婚後の実際の監護の多くは、母親が単独で行っていることは、諸外国も日本も同じである。」(梶村ほか178頁〔榊原富士子〕)

 

「たとえば、フランスでは、離婚後も共同親権が原則であり、実際に90パーセント以上が共同親権となっており、共同親権に加えて、交替監護を意味する交替居所が採られている。」(栗林326頁脚注85)

 

フランスでは「1987年に親権の共同行使の可能性が認められ、1993年には、離婚後の共同親権行使の原則を定めている(フ民372条以下)。ここに至り、一方で離婚は男女の生き方の自由を尊重し、他方で子に対してはその影響を最小限にとどめ、離婚以前の状態のような親としての共同性を維持しようとしている。離婚後の親権の問題も親権の章に移され、親の生き方に影響を受けない親権の共同行使という考え方が、その後の2002年の親権法の改正からも伝わってくる。」(松川74頁)

 

 

 

■参考文献

池田  池田清貴「弁護士から見た中間試案」ジュリ1582号(2023年)

石塚  石塚理沙「離婚後の共同親権について」立法と調査427号(2020年)

市橋ほか 市橋千鶴子ほか『夫婦・親子の法律相談』(青林書院、1995年)

犬伏  犬伏由子「離婚紛争における子の利益と実体法」若林昌子・犬伏由子・長谷部由起子編著『家事事件リカレント講座 離婚と子の監護紛争の実務』(日本加除出版、2019年)76頁

内田ほか  内田貴ほか「座談会 家族法の改正に向けて」中田裕康編『家族法改正 婚姻・親子関係を中心に』(有斐閣、2010年)*4

大塚  大塚正之『臨床実務家のための家族法コンメンタール民法親族編)』(勁草書房、2016年)

大村  大村敦志民法読解 親族編』(有斐閣、2015年)

大村b  大村敦志家族法』(有斐閣、第3版、2010年)

梶村  梶村太市『最新 民法親族編逐条解説』(テイハン、2021年)

梶村ほか  梶村太市ほか『家族法実務講義』(有斐閣、2013年)

川田  川田昇「親の権利と子の利益」中川善之助先生追悼『現代家族法大系3』(有斐閣、昭和54年)

木村  木村草太「離婚後共同親権憲法」梶村太市ほか編著『離婚後の共同親権とは何か』(日本評論社、2019年)

栗林  栗林佳代「離婚後の親子の交流(面会交流)の保障」二宮周平編集代表『現代家族法講座 第2巻 婚姻と離婚』(日本評論社、2020年)

小池  小池泰「親権」法教429号(2016年)

佐々木  本山敦編著『逐条ガイド親族法』(日本加除出版、2020年)〔佐々木健

佐藤  佐藤隆夫『叢書民法総合判例研究 63 親権』(一粒社、昭和56年)

鈴木  鈴木経夫「実務から見た離婚後の子ども共同監護」財団法人日弁連法務研究財団離婚後の子どもの親権及び監護に関する非核法的研究会編『子どもの福祉と共同親権』(日本加除出版、平成19年)

鈴木b  鈴木経夫「調停離婚・審判離婚」村重慶一編『現在裁判法体系⑩〔親族〕』(新日本法規、平成10年)

千田  千田有紀「家族紛争と司法の役割 ――社会学の立場から」梶村太市ほか編著『離婚後の子の監護と面会交流』(日本評論社、2018年)

副田ほか  副田隆重ほか『新・民法学5 家族法』(成文堂、2004年)

棚村  棚村政行「離婚後の子の監護」中川高男編『民法基本論集 第Ⅶ巻 家族法』(法学書院、1993年)

中川  中川淳「親権法における身上監護権(素描)」田井義信編『民法学の現在と近未来』(法律文化社、2012年)

二宮  二宮周平家族法』(新世社、第5版、2019年)

星野  星野英一「親子とはなにか ―民法における親子―」『民法論集 第4巻』(有斐閣、昭和53年)

前田  前田陽一ほか『民法Ⅵ 親族・相続』(有斐閣、第6版、2022年)

松川  松川正毅『民法 親族・相続』(有斐閣、第7版、2022年)

三﨑  三崎高治「親権の内容とその行使」第一東京弁護士会少年法委員会編『子どものための法律相談』(青林書院、第2版、2014年)

水野  水野紀子「離婚の効果を考える」法教500号(2022年)

山口  山口亮子「離婚した父母と子どもとの法的関係」法時93巻2号(2021年2月号)

山本  於保不二雄ほか編『新版注釈民法(25)親族(5)』(有斐閣、復刻版、2010年)〔山本正憲〕

 

 

 

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*1:この定義は、婚姻中の共同親権に関する法令用語研究会編『有斐閣 法律用語辞典』(有斐閣、第5版、2020年)の定義を、離婚後の父母にパラフレーズしたものです。

*2:家事審判法は現在は存在しません。

*3:尚、大村先生のご指摘に対する反論として、後掲の梶村359頁があります。

*4:尚、この座談会は、内田貴先生、大村敦志先生、角紀代恵先生、窪田充見先生、高田裕成先生、道垣内弘人先生、中田裕康先生、水野紀子先生、山本敬三先生、吉田克己先生という錚々たるメンバーが参加されており、理論面からすれば、賛否いずれのお立場でもご一読の価値があります。