■今回のテーマ
以下のようなニュースに接しました。
体外受精、夫の同意なくても「夫の子と推定」 家裁判決:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKD80Q58KD7POMB01L.html?iref=comtop_8_03「凍結保存していた受精卵を、妻が夫に無断で使って出産した女児と夫との間に、父子関係がないことの確認を求めた訴訟で、奈良家裁(渡辺雅道裁判長)は15日、奈良県内に住む原告の男性(46)の訴えを却下する判決を言い渡した。『体外受精に夫の同意がなくても、妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する民法の規定は及ぶ』との判断を示した。」
凍結受精卵無断移植でも親子―外国人男性の「父子関係不存在」訴え却下 奈良家裁 - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171215/wst1712150053-n1.html「判決は、凍結受精卵の移植については両親の同意が必要だとした上で、今回のケースでは元妻が妊娠した当時の交流状況などから、原告男性は民法上、子供の父親と推定される立場にあると判断した。」
「2人は妊娠当時、婚姻関係自体は継続。原告男性側は別居して性行為はなく、元妻が凍結受精卵の移植を受ける際に同意の確認も求められなかったとして推定は及ばないと主張していた。」
そこで,今回は,今回の判決&関連する問題について一言,ご説明します。
■条文
今回の問題は,夫の同意なく受精卵を使用して産まれた子について,民法772条が適用されるか否か,というものでした。つまり,民法772条の適用の可否が問題でした。
そこで,まず,民法772条を見てみましょう。
(嫡出の推定)
第772条
1 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
今回は,この条文が適用されるか否かが問題となりました。
尚,民法772条が定める嫡出推定については,以下の拙稿を御覧ください。
嫡出子って何ですか? - 竟成法律事務所のブログ
http://milight-partners-law.hatenablog.com/entry/2015/12/01/210751
■学説
今回のような人工授精(正確には配偶者間人工授精)に対して,民法772条が適用されるか否か,について,学説は一般論として肯定しています。
「人工授精とは,女性の子宮内に男性の精子を人工的に注入する人工生殖の技術であり,比較的早くから実施されている。その際,妻に対して夫の精子を用いて行う場合がAIH(Artificial Insemination with Husband's semen)と呼ばれている。AIHにあっては,婚姻中に妻が懐胎した夫の子であるから,本条の適用にあたって特段の問題は発生しない。つまり,通常の婚姻から生まれてきた子と同じように扱えばよいことになる(床谷文雄「人工生殖子の親子関係をめぐる解釈論と立法論」潮見佳男ほか編・民法学の軌跡と展望〔2002〕453頁)。」*1
■問題点
772条が適用されるというのであれば,わざわざ,訴訟で争う必要はないではないか?と思われるかもしれません。
ところが,そうは行かないのです。
上述の学説は,あくまで「一般論」として,人工受精について772条の適用を肯定しているだけです。
報道されている内容に照らしますと,本件では,以下の2つの問題があります。
- 妻が妊娠した当時,夫婦は別居しており,夫婦の間では性行為は為されていなかった。
- 人工授精をする際に夫の同意がなかった。
このうち,1の問題については,従来,判例・学説上,「推定の及ばない嫡出子」として取り扱われていました。
この「推定の及ばない嫡出子」とは,形式的には民法772条が適用されるが,嫡出子であることが否定される子のことを言います。*2
例えば,夫が海外出張や服役で不在だった場合,疾病等で性行為が不能だった場合,離婚を前提として別居中だった場合などに産まれた子が,この「推定の及ばない嫡出子」に該当します。
確かに,これらの子は,婚姻成立から200日が経過した後に産まれています。
そのため,772条2項によって「妻が婚姻中に懐胎した子」と推定されるため,同条1項によって,「夫の子」として推定されるはずです。
しかし,これらの子を妻が妊娠した当時,妻と夫との間では性行為がありません。これは外観上,明らかです。
このような場合にまで民法772条の推定を及ぼすのは不合理と考えられます。
そこで,これらの子については,民法772条の嫡出推定が及ばないとされています*3。これを「推定の及ばない嫡出子」と言います。
この嫡出推定の考え方を展開すれば,今回の事件でも,夫と妻は別居中であった以上,「推定の及ばない嫡出子」として,民法772条は適用されなさそうです。
ところが。
報道された内容からすると,使用された受精卵が夫の精子と妻の卵子によるものであること(生物学的親子関係の存在)は明らかなようです。
そうすると,「夫の子」であることは科学的には明らかです。
また,この受精卵を用いて妊娠・出産をすることについて,夫は,少なくとも当初は同意していたようです。
つまり,「父親になる」という規範の問題に直面し,それを夫が是とした,という点では,性行為という生殖行為を行った場合と類似しているとも言えなくはありません。
そのため,「夫の子」として法律上も推定し,様々な法的保障を与えても良いのではないか,とも考えられます。
本件では,これらの点が問題となったのではないかと考えられます(本稿執筆時,判決文に接していないので,違うかもしれませんが……)。
■判例と抵触する危険性
ここからは,やや専門的な話になりますが,判例はいわゆる外観説を堅持しています。*4。
そして,本件で,夫婦は別居していました。
そのため,本件でも,民法772条が適用されないという結論の方が素直なように思えます。
そもそも,「推定されない嫡出子」という概念は――判例が採用する外観説の理解によれば――夫婦の子でないことが「外観的」に明らかであるという理由で認められたものでした。
DNA鑑定などで父子関係を調べる場合(つまり,父子関係の不存在が外観上明らかとは言えない場合)は,夫婦間のプライベートな事情を裁判所で明らかにしなければならず,家庭の平和の維持という民法772条の制度趣旨に反してしまう,だからこそ,このような場合は民法772条の推定は及ぶことにして,プライベートな事情を訴訟に持ち込ませないようにする――これが我妻説であり,判例理論の基礎にあります。
この考え方からすれば,外観上父子関係の不存在が明らかとは言える本件では,772条の推定は及ばないと言えるのではないかと思われます。
その意味で,今回の判決は,判例理論に抵触する危険性があるのではないかと思われます。
もちろん,判例が採用する外観説に問題がない訳ではありません。
最判平成26年7月17日も僅差の判決であり,裁判体が変われば,判例が変わる余地もあります。
※2017年12月17日追記
別の記事によりますと,以下のような事実が,判決では指摘されているようです。
これが事実であるとすれば,上記の「判例と抵触する危険性」はその前提を欠いており,的を射ていないことになります。つまり,今回の奈良家裁の判断は,判例と抵触しないということです。
【受精卵「無断」移植訴訟】同意ない体外受精は親子関係の成立なし、奈良家裁で初判断(1/2ページ) - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171215/wst1712150090-n1.html「その上で、今回のケースを検討。妻が長女を妊娠していた当時の交流状況から『別居していたが、旅行に出かけるなど夫婦の実態は失われていなかった』と指摘した。妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する民法の『嫡出推定』が及ぶかどうかは、外観的に評価判断すべきであるとの最高裁判例に基づき、今回のケースも適用されると判断。親子関係がないことを確認するには、別に嫡出否認の訴訟が必要として退けた。」
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