竟成法律事務所のブログ

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【憲法】表現の自由(憲法21条)に関するメモ(作成中)

■今回のテーマ

最近,表現の自由憲法21条)が,ニュース等でよく取り上げられています。

 

弊所では憲法をメインとした仕事をすることは今までなく,その意味で憲法の知識は,司法試験受験時から大きくは変わっていません。

 

とはいえ,憲法の根底にある考え方は,当時も今も大きくは変わっていないはずです。

 

というわけで,本稿の目的は,とりあえず,憲法の基礎知識を整理するという点にあります。もっとも,整理と言いましても,研究者の先生方の文献や判例を引用するというのが主たる作業ですが。

 

■基本書・体系書による指摘

表現の自由が保障される理由

表現の自由を個別人権として保障する理由は何か。それは,個人の自己実現と自己統治にとって表現の自由が不可欠と考えるからである。我々は,他者とのコミュニケーションを通じて自己自身や自己を取り巻く環境についての理解を深め,その過程のなかで自己を自律的に規定し,規定した自己を実現していこうとする。このプロセスは,表現の自由なしには成り立たない。また,我々人間は社会を形成して生きる存在であり,我々の生き方は,社会的な共同決定に影響を受けざるをえない。ゆえに,個人の尊厳を原理とする社会は,共同決定への個人の参加を保証しなければならないが,共同決定への参加,すなわち,自己統治は表現の自由なくしては実効性をもちえないのである。」*1

  

「以上のような射程をもつ『表現の自由』は,①個人の人格の形成と展開(個人の自己実現)にとって,また,②立憲民主主義の維持・運営(国民の自己統治)にとって,不可欠であって,この不可欠性の故に『表現の自由』の優越的地位が帰結される。確かに,既にみた信教の自由など,あるいは人身の自由や私生活の自由さらには経済的自由も,個人の自由な自己実現にとって不可欠なものであって,優劣は簡単にはつけ難いかもしれない。しかし,『表現の自由』は人間の精神活動の自由の実際的・象徴的基盤であるとともに,人身の自由や私生活の自由などの保障度を国民が普段に監視し,自由の体系を維持する最も基本的な条件であって,その意味で『ほとんどすべての他の形式の自由の母体であり,不可欠の条件である』(カードーゾ裁判官)。」*2

 

「思想の自由市場」という考え方について

「ここでは2点を確認しておきたい。第一に、これら諸価値は択一的なものではなく、一般に、表現の自由自己実現と自己統治の2つの価値に仕えるといわれる。とはいえ、重点の置き方によっては具体的論′点に関する結論を変える可能性があることに注意が必要である。第二に、真理到達という価値は自己実現・自己統治のいずれかに吸収されると論じられつつも、「思想の自由市場」というconceptは表現の自由論体系に確固とした根を張っている。まず、自由市場なしには、自身の立ち位置や見解を確認・修正したり、多様な意見を闘わせ擦り合わせて社会的合意を形成したりすることは想定しえないという意味において「自己実現も自己統治も、『思想の自由市場』を前提としている」。さらに、多様な情報の流通が実現されるべきである、言論に対する評価は公権力が行うべきでない、仮に言論が何らかの害悪を惹起する場合でも、その第一義的な是正策は対抗言論、モア・スピーチであるべきである、といった憲法学説が共有する表現の自由論の基本構想は、思想の自由市場論の強い影響の下にある」*3

 

表現の自由の「真理への到達機能は,しばしば『思想の自由市場』の言葉で語られる。つまり,『真理の最上のテストは,市場の競争において自らを受け入れさせる思想の力である』(ホームズ裁判官)という発想である。しかし,この自由市場論については,真理は究極において勝利する保障はあるのかといった原理的疑念とともに,そもそも自由市場というものは実際上存在しているのか,むしろマスメディアの少数者への集中が一層強まり,論説や報道の画一化傾向が強まっているのが実情ではないかという現実的機能面についての疑念がつきまとっている。」*4

 

萎縮効果

「また、こうした理解からは、表現の自由保障は単に表現を行う個人だけの問題にとどまるものではないことにも十分な配慮が求められる。経験的にも、表現の自由はいったん損なわれれば回復困難な「こわれやすく傷つきやすい」自由とされ、それゆえに、表現の自由に対する規制の問題を考える際には、規制のもたらす萎縮効果(chilling effect)、すなわち規制されるおそれから本来規制されないはずの表現までも手控えてしまうという効果に十分な警戒をしなければならない。つまり、ある表現の制約は、単に表現主体の自由制限であるのみならず、萎縮効果をもつことによって公共圏における公論形成にもより大きな歪みをもたらすのであって、そこからも規制の合意性が厳しく吟味されなければならない。したがって、仮に問題のある表現だとしても安直な規制によって排除するのではなく、それに反論する表現(対抗言論)を含む自由な討論(思想の自由市場)に委ねるのが原則となり、表現規制の合憲性を判断するために用いられる法理・基準の内容、その適用にあたっても萎縮効果の除去という視点が重要な意味をもつ」*5

 

表現の自由で保障されるか否かの判別方法

憲法表現の自由を保障する。したがって,保障された『表現』を明確に定義すれば,後はその定義に該当するかどうかだけ判断すればよいと思うかもしれない。しかし,実際には多様な形態で行われる表現を,保障されるものと保障されないものに明確に区分けしうるような『表現』の定義を確立することは,ほとんど不可能である。そこで,通常は,作業を二段階に分け,まず,表現の自由が及ぶ範囲を画定し,次に,その範囲に入ってきた表現行為につき,その表現価値とそれに対立する価値を比較衡量して保障される表現かどうかを決定するという手順で問題を考える。」*6

 

審査基準

「『表現の自由』は外的行為(公表ないし情報収集活動)にかかわるため,他人または社会の利益との抵触の問題を生じ,このことから制約の可能性は承認されなければならない。しかし,上述の『優越的地位』に鑑み,この領域では通常の合憲性の推定原則が排除され,むしろ違憲性の推定原則が妥当すると解される」*7

 

審査基準に関する類型論

「審査の厳格度に差違を生み出しうる類型区分として,①事前抑制と事後抑制の区別,②内容規制と内容中立規制の区別,③パブリック・フォーラムと非パブリック・フォーラムの区別,④抑制と援助の区別」*8

 などがある。

 

内容規制と内容中立規制

「表現の内容に着目した規制を内容規制(content-based regulations)といい,これに対し,表現の内容には関係なく,表現の手段・方法等を規制する場合を内容中立規制(content-neural regulations)という。一般論としては,表現の内容規制は,権力者が自己に都合の悪い表現内容を規制したのではないかという疑いの余地があるので,厳格な審査が必要であるが,内容中立規制の場合は,そのような疑いが小さいので,通常審査(中間審査)でよい。」*9

 

内容規制の区別

「内容規制と言っても様々な種類・類型が区別され,一律の取扱いは不可能である。ここでは,重要な区別として,見解(viewpoint)と主題(subject-matter)の区別,および,価値の高い表現と低い表現の区別を取り上げて説明しておく。」*10

 

見解と主題の区別

「内容規制にも,様々な立場・見解・観点がある中で特定の立場・見解・観点のみを禁止するという『見解規制』と,特定の主題につき,その主題に関してどのような立場を採るかとは関係なしに,その主題を内容とする表現を禁止するという『主題規制』とがある。たとえば,選挙に関する表現を禁止するのは,主題規制であり,野党候補を支持する表現を禁止するのは,見解規制である。」*11

 

「見解規制は,特定の立場を公的議論の過程から排除するもので,自己統治・民主政治の理念に反するし,政府が自己に都合の悪い表現を抑圧する危険性も大きいから,きわめて厳格な審査が必要となる。これに対し,主題規制は,特定主題を公的討論の場から全面的に排除してしまう場合には,見解規制と同じ問題をはらみ,厳格な審査が必要であるが,時・場所・態様規制と結合してなされる場合には,公的討論の場に向けて表現する他の回路が開かれている限り,内容中立規制の場合と同様に考えることができよう。たとえば公衆の目に触れる場所でのポルノ表現を制限する場合などが,その例である。」*12

 

価値の低い表現・価値の高い表現

「表現内容そのものに価値の高低が内在するという考え(high-value speechとlow-value speechの区別)を支持することは困難であるが,自己実現・自己統治という表現価値とどの程度密接に関連するかを基準に内容価値の高低を議論することは可能であろう。例えば,政治的表現は自己統治に密接に関連するから高価値の表現であるが,わいせつ的表現はそういう関連はないから低価値だと言われたりする。しかし,わいせつ的表現を使って政治的批判を目的とした表現をすることもあるし,受け手の自己実現という観点から見ればわいせつ的表現も重要だという反論も可能であり,表現価値との関連で低価値・高価値をカテゴリカルに分けるのは,表現価値を自己統治に限定し,政治的表現の保護が核心であるという立場を除き,困難であろう。」*13

 

「低価値表現という場合,むしろ表現内容がもたらす社会的害悪に着目していることが多い。わいせつ,名誉毀損,プライバシー侵害,差別的表現などは,伝統的にその内容自体が保護すべき法益を侵害するものと考えられてきた。それゆえに,また,表現を抑圧する場合にも,こういった表現の規制を口実に行われることが多かった。そのためこれらの表現規制表現の自由の観点から限定することが痛感され,今日では表現の自由の保障範囲内に取り込むようになったのである。しかし,通常の表現と同程度の保護が与えられるわけではないということを強調するために,低価値の表現と言われたりする。低価値かどうかは別にして,これらの表現の保障の限界を取り扱う場合に重要なことは,許される表現と許されない表現の範囲を明確に画定し,法執行者の恣意的な適用の余地をなくすとともに,本来許されるべき表現さえも安全を期してやめてしまうという『萎縮効果』(chilling effect)を除去することである。そのためには,可能な限り『定義づけ衡量』のアプローチが望ましい。」*14

 

「しかし、明確に『一切の表現の自由』の保障を謳う日本国憲法21条1項の文言上、いくら厳密に『定義づけ衡量』したとしても、端から特定類型の表現を憲法上の権利の保障範囲の埒外とするのはテクスト解釈学的に困難であるように思う。いったんは表現の自由の保障範囲内としたうえで、その保障の程度を慎重に考えるのが筋であろう。いや、そもそもある表現の価値の有無や高低を公権力が判断すること自体、『思想の自由市場』のコンセプトからして許されるのだろうか。」*15

 

ヘイトスピーチ

「まず、ヘイトスピーチについて、そもそもその概念は論者によって様々ではあるが、さしあたり本稿では『人種・民族・宗教・性・性的指向等を指標としたマイノリテイ集団に対する敵意や憎悪を表す表現』とする。このような表現のうち特定の個人に向けられたものについては名誉毀損表現として事前抑制も可能な場合もあるため、専ら不特定多数に向けられた場合が問題となる。このような不特定多数に向けられるヘイトスピーチがマイノリティに対して与えるダメージは大きく、その背後にある差別状況を含めて社会的に解決されるべき問題ではあるが、他方、たとえ社会に役立たないような言論であったとしても自己の思想・価値観を表現し外的環境に働きかける機会を保障することが表現の自由市場から求められる。名誉毀損表現等に該当しないヘイトスピーチについて、事前抑制の原則的禁止の法理を踏まえつつもなお例外的に公権力による事前抑制を認めることには慎重であるべきであろう。」*16

 

「民主過程においては様々な意見・情報が言論空間に障碍なく流通し、それらを自由に論評し議論できることが重要であって、大多数または一部の人間にとって不適切で不快な表現であつたとしても、それを理由に排除することは原則として許されないと解される。しかし、自己統治の前提となる民主政治が、すべての人々が不当な圧力を受けることなく自由闊達に意見を交換できる環境を必要条件としていると解するならば、他者の社会参加を否定したり邪魔したりする表現については、保護の土台を欠いていると言えるかもしれない。あるいは、暴力煽動、虐殺の予告、著しい侮辱の形をとるヘイトスピーチについては、民主政治との関連性が希薄と考えることもできよう。しかしながら、言い回しを一部変えて、在留外国人の処遇、外交政策等と関連付けてヘイトメッセージが発せられる場合には、当該表現は政治的言論としての特徴を帯びはじめる。政治的言論との線引きは必ずしも容易ではない。」*17

 

名誉毀損

「名誉とは,社会的評価であり,人格権を構成すると理解されている。しかし,名誉の侵害は,通常,表現により行われるので,表現の自由との調整が必要となる。実際,名誉毀損は,権力者が自己に対する批判を抑圧するのに使われやすく,国民の政治的表現の自由と衝突することが多い。民主政治にとっては,為政者その政策の自由な批判が不可欠であることに鑑み,名誉毀損的表現に対する萎縮効果を除去することが重要となる。」*18

 

規制と援助

「政府は,自己の掲げる政策を実現するために,表現活動の規制(禁止あるいは制限)ではなく,たとえば活動資金の助成等の『援助』という手法を用いることもある。憲法は国に対し私人の表現活動を援助することを義務づけてはいないが,禁止しているわけでもない。ゆえに,政府は,自己の政策の国民への浸透を私人の表現活動に対する援助を通じて,促進することができる。しかし,自己の政策に対する批判表現にを規制すれば表現の自由の侵害となるのに,支持表現を援助することは憲法問題とならないのであろうか。」*19

 

「政府の政策は,通常,特定の思想を基礎にしている。多数派の支持した思想が『公認の思想』となるというのが,デモクラシーの合意なのである。表現の自由が要求するのは,公認の思想以外の表現も保障せよということである。様々な思想(それに基づく政策)の間で競争し,多数派を形成した思想が次の選挙までの公認思想になるというのがデモクラシーなのである。」*20

 

「では,『公認思想の宣伝』を自ら行うのではなく,公認思想に適合する私人の表現活動を援助することはどうか。援助も政府の行為(政府言論)であるから,上の条件を満たせば同様に考えてもよさそうに見える。しかし,ここでは政府と私人の間に直接的な接触が生じており,人権問題が生じうる。というのは,特定の私人に関して,援助を受ける者と受けない者の『差別』が生じうるからである。よく問題になるのは,芸術的活動への援助である。誰にも国から援助を受ける憲法上の権利があるわけではないが,法律により援助を制度化する場合には,援助の要件をまったく自由に定めうるわけではない。たとえば,ポルノ的芸術あるいは天皇制批判的系術には援助をしないという趣旨の要件を定めたらどうだろうか。」*21

 

匿名表現(匿名言論)

「ここで匿名表現とは、さしあたり、表現者の身元が一般的な表現受領者には秘匿されたまま行われる表現のことを念頭に置き、したがって偽名による表現も含む。」*22

 

「本稿では、ひとまず次のように、保護領域には含まれることを前提に、この問題を制約論において考えることにしたい。まず、保護領域段階においては、匿名表現の自由というカテゴリーを立てる必要はないと考える(ただし、便宜上「匿名表現の自由」という用語自体は使う)。顕名だろうが匿名だろうが、表現であれば表現の自由の保障を受けるのである。また、表現者にとっても、匿名によって「自由に表現ができる」という点が重要なのであって、匿名であること自体に意味を見出しているわけでは必ずしもないだろう。他方、制約段階では、匿名性の剥奪は、事実上の制約であって表現自体を法的に禁止するわけではないが、状況によっては強い萎縮効果を及ぼして事実上の禁止的な効果を有する強い制約となる。」*23

 

 

判例による指摘

公務員の政治活動の自由

 「他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。」*24

 

表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならないが,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ意見を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。被告人の本件行為は,その場の状況にそぐわない不相当な態様で行われ,静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせたものであって,こうした行為が社会通念上許されず,違法性を欠くものでないことは明らかである。したがって,被告人の本件行為をもって刑法234条の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。」*25

 

憲法二一条の保障する表現の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものであり、これをみだりに制限することは許されないが、表現の自由といえども国民全体の共同の利益を擁護するため必要かつ合理的な制限を受けることは、憲法の許容するところであるというべきである。そして、行政の中立かつ適正な運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、国民全体の共同の利益にほかならないものというべきところ、自衛隊の任務(法三条)及び組織の特性にかんがみると、隊員相互の信頼関係を保持し、厳正な規律の維持を図ることは、自衛隊の任務を適正に遂行するために必要不可欠であり、それによって、国民全体の共同の利益が確保されることになるというべきである。したがって,このような国民全体の利益を守るために、隊員の表現の自由に対して必要かつ合理的な制限を加えることは、憲法二一条の許容するところであるということができる。」*26

 

ビラ配布行為

「確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,本件ビラのような政党の政治的意見等を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3206頁参照)。本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人が立ち入った場所は,本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり,その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。」*27

 

取材源の秘密

「すなわち,報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供し,国民の知る権利に奉仕するものである。したがって,思想の表明の自由と並んで,事実報道の自由は,表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもない。また,このような報道機関の報道が正しい内容を持つためには,報道の自由とともに,報道のための取材の自由も,憲法21条の精神に照らし,十分尊重に値するものといわなければならない(最高裁昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁参照)。取材の自由の持つ上記のような意義に照らして考えれば,取材源の秘密は,取材の自由を確保するために必要なものとして,重要な社会的価値を有するというべきである。そうすると,当該報道が公共の利益に関するものであって,その取材の手段,方法が一般の刑罰法令に触れるとか,取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく,しかも,当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため,当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く,そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には,当該取材源の秘密は保護に値すると解すべきであり,証人は,原則として,当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。」*28

 

公立図書館における思想等の伝達

「公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。」*29

 

教科書検定

憲法二一条一項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が右のような限度のものとして容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきところ、普通教育の場においては、教育の中立・公正、一定水準の確保等の要請があり、これを実現するためには、これらの観点に照らして不適切と認められる図書の教科書としての発行、使用等を禁止する必要があること、その制限も、右の観点からして不適切と認められる内容を含む図書についてのみ、教科書という特殊な形態において発行することを禁ずるものにすぎないことなどを考慮すると、教科書の検定による表現の自由の制限は、合理的で必要やむを得ない限度のものというべきである。」*30

 

報道機関の取材結果に対する差押え

「報道機関の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障の下にあり、報道のための取材の自由も、憲法二一条の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであること、取材の自由も、何らの制約を受けないものではなく、公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることがあることは、いずれも博多駅事件決定(最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)の判示するところである。そして、その趣旨からすると、公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の遂行という要請がある場合にも、同様に、取材の自由がある程度の制約を受ける場合があること、また、このような要請から報道機関の取材結果に対して差押をする場合において、差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることは、明らかである(最高裁昭和六三年(し)第一一六号平成元年一月三〇日第二小法廷決定・刑集四三巻一号一九頁参照)。」*31

 

青少年の知る権利

「青少年の享有する知る自由を考える場合に、一方では、青少年はその人格の形成期であるだけに偏りのない知識や情報に広く接することによって精神的成長をとげることができるところから、その知る自由の保障の必要性は高いのであり、そのために青少年を保護する親権者その他の者の配慮のみでなく、青少年向けの図書利用施設の整備などのような政策的考慮が望まれるのであるが、他方において、その自由の憲法的保障という角度からみるときには、その保障の程度が成人の場合に比較して低いといわざるをえないのである。すなわち、知る自由の保障は、提供される知識や情報を自ら選別してそのうちから自らの人格形成に資するものを取得していく能力が前提とされている、青少年は、一般的にみて、精神的に未熟であって、右の選別能力を十全には有しておらず、その受ける知識や情報の影響をうけることが大きいとみられるから、成人と同等の知る自由を保障される前提を欠くものであり、したがって青少年のもつ知る自由を一定の制約をうけ、その制約を通じて青少年の精神的未熟さに由来する害悪から保護される必要があるといわねばならない。もとよりこの保護を行うのは、第一次的には親権者その他青少年の保護に当たる者の任務であるが、それが十分に機能しない場合も少なくないから、公的な立場からその保護のために関与が行われることも認めねばならないと思われる。本件条例もその一つの方法と考えられる。このようにして、ある表現が受け手として青少年にむけられる場合には,成人に対する表現の規制の場合のように、その制約の憲法適合性について厳格な基準が適用されないものと解するのが相当である。そうであるとすれば、一般に優越する地位をもつ表現の自由を制約する法令について違憲かどうかを判断する基準とされる、その表現につき明白かつ現在の危険が存在しない限り制約を許されないとか、より制限的でない他の選びうる手段の存在するときは制約は違憲となるなどの原則はそのまま適用されないし、表現に対する事前の規制は原則として許されないとか、規制を受ける表現の範囲が明確でなければならないという違憲判断の基準についても成人の場合とは異なり、多少とも緩和した形で適用されると考えられる。」*32

 

 

■公式サイト

※大変申し訳ないのですが,無料法律相談は行っておりません

竟成(きょうせい)法律事務所
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*1:高橋和之立憲主義日本国憲法』(有斐閣,平成17年)168頁。

*2:佐藤幸司『憲法』(青林書院,第3版,平成7年)514頁。

*3:梶原健佑「表現の自由の原理論」山本龍彦ほか編著『憲法学の現在地』(日本評論社、2020年)181頁。

*4:前掲・佐藤514頁。

*5:本秀樹編『憲法講義』(日本評論社、第3版、2022年)385頁〔塚田哲之〕。

*6:前掲・高橋173頁。

*7:前掲・佐藤517頁。

*8:前掲・高橋177頁。

*9:前掲・高橋180頁。

*10:前掲・高橋180頁

*11:前掲・高橋181頁

*12:前掲・高橋181頁。

*13:前掲・高橋181頁。太字は引用者による。

*14:前掲・高橋181-182頁。

*15:金井光生「刑法175条と憲法21条」法教488号(2021年)24頁。太字部分は原典では傍点。

*16:御幸聖樹「検閲と事前抑制」法教476号(2020年)13頁。

*17:前掲・梶原183-184頁。

*18:前掲・高橋184頁。

*19:前掲・高橋191-192頁。

*20:前掲・高橋192頁。

*21:前掲・高橋192頁。太字は引用者による。

*22:曽我部真裕「匿名表現の自由」ジュリ1554号(2021年)44頁

*23:前掲・曽我部46頁

*24:最二小判平成24年12月7日刑集66巻12号1722頁。

*25:最一小判平成23年7月7日刑集65巻5号619頁。

*26:最一小判平成7年7月6日集民176号69頁。

*27:最二小判平成21年11月30日刑集63巻9号1765頁。

*28:最三小決平成18年10月3日民集60巻8号2647頁。

*29:最一小判平成17年7月14日民集59巻6号1569頁。

*30:最三小判平成9年8月29日民集51巻7号2921頁。

*31:最二小決平成2年7月9日刑集44巻5号421頁。

*32:最三小判平成元年9月19日刑集43巻8号785頁・伊藤正己裁判官補足意見。